2010年4月3日土曜日

facebook

facebookや twitterが流行っているけれど。私も海外在住の性で、facebookのほうに集中しておりました。

ほったらかしにしていちゃった。
こちらのほう。

ま。
うちな〜んちゅだし。オーストラリア在住☆年目だし。

なんくるなさぁ=No worries, mate!
のスピリットで。

気分次第ということにしておこう。

何事も。

うん。

2009年9月22日火曜日

Okinawan Longevity 2

1)沖縄の自然環境条件

沖縄の亜熱帯海洋性気候は気温の年格差が小さく、そのため年中温暖で活動しやすい。 またきれいな海水、豊かな自然は生活の場として極めて恵まれていると言えよう。
─人もし天寿を全うせんと欲せば須らく沖縄島へ移住すべし。 沖縄島は日本屈指の健康地にして、しかも安全なる船の如し。 草木鬱蒼四時緑を帯び、気候温和夏は涼しく冬暖かにして優に渾円球上の公園となすべき資格あり─。
これは明治の半ば頃沖縄を訪れ、調査した京都帝国大学の松下教授の一文である。

2 )長寿者のライフスタイル

長寿村として知られる大宜味村の高齢者の健康像を血液生化学値でみると、アルブミン、ヘモグロ
ビン、血清総コレステロール値が東北秋田地方の農村の高齢者に比べると、良好な状態を維持してい
た。食生活の面では秋田地方の農村に比べ、肉類(特に豚肉)の摂取量が3倍、大豆に代表される豆
類の摂取量が1.5倍、緑黄色野菜の摂取が3倍も多く、食塩摂取量では秋田の13.8gに比べ9g
と極めて少ないという特徴が見られた。健康を支える「食の重要性」は今さら言うまでもない。
豚肉や豆腐、緑黄色野菜、海藻類の摂取量の高さや食塩摂取量の低さは全国との比較に於いて現在も
その特徴を留めている。
気温の年較差が12.3度の沖縄では本土と違って一年を通じて野外での活動を可能にしている。
この事は冬の間屋内で静かな生活を強いられる場合が多い本土の自然環境とは格段の違いである。
このような環境下で季節に関係なく、大宜味村の高齢者は、高齢になっても体が動く限りは畑仕事を
したり、村の伝統産業の芭蕉布の糸紡ぎをしたり、運動やその他の社会活動を続けている。
従って当然のことながら秋田の農村の老人に比べ日常生活動作能力(ADL)も高いレベルにあり、就
労率にも大きな違いが見られた。この村では仕事も生きがいと感じている高齢者が多いが、同様のこ
とは本県の老人全般にも言えることであり、生産的加齢(プロダクティブ・エイジング)を日々の生活
の中で実証しているのである。また大宜味村では高齢者の多くが独居または老人夫婦のみであるが、
寂しく静かな生活ではなく、友人同士の交流や別居の子や孫達との交流も盛んであり、特に「頼りに
し、心やすらぐ相手」としての友人との日常的な交流は老人達の生活適応性を高めている。
また大宜味や佐敷での睡眠健康に関する調査では両地域の老人達は睡眠時間が短いにも関わらず睡
眠負債が少なく、睡眠に関わる愁訴も極めて少なかった。
散歩や昼寝、運動量などに大きな違いが見られ、これらの結果は沖縄の高齢者の睡眠健康の維持に生
活スタイルの良さが深く関わっていることを強く示唆している。

食生活の面では

  • 肉類(特に豚肉)を過不足なく食べる
  • 豆類(特に豆腐)をよく食べる
  • 野菜類(特に緑黄色野菜)を多く食べる
  • 海草類(特に昆布・もずく)を多く食べる
  • 食塩摂取量が少ない

運動の面では

  • 生涯現役意識が強く、高齢になっても仕事をもっている者が多い
  • 老人会の活動・ボランティア活動・地域の伝統行事への参加率が高く、社会的活動性が高い
  • 運動(スポ-ツ)・散歩の習慣を持つ者が多い

休養の面では

  • 昼寝の習慣を持つ者が多い
  • 夜の睡眠の質が良い

3)精神風土

沖縄の自然と、そこで生活を営む人間社会における風俗・習慣とが織りなす複雑なつながりの中で、沖縄独特の精神風土が形成された。ものにあまりこだわらないおおらかな心を持ち、あくせくせず、自然と共に歩み、生活するようなのんびりした余裕のある心のリズムをもち、情緒豊かで、人情味のある性格や人的にも精神的にも近隣所と垣根のない、深い交流のある生活をしていて、共同体意識が極めて強い。そこからユイマール(相互扶助)の精神や他者とも分け隔てなく付き合うイチャリバチョーデーの県民性が培われ、心身をうまくコントロールし、豊かな人間性が培われ、健康にも良い影響を及ぼしているものと思われる。
沖縄の持つ癒しの力の本態はまさにここにある。
以上のことが沖縄の長寿文化を支える高齢者の主観的健康感・生きがい感・生活意欲の強さにつながり、結果として高齢者の長寿を強く支えていると思われる。
本県における健康づくりは当然のことながら、先輩長寿者のこのような生き方に学び、まず個人個人が健康的なライフスタイルの確立に努めることが肝要である。

- quote ; http://www.choju.net/factor/

沖縄の長寿のkeyを知りたくて。いつものようにネット検索していたら。琉球大学長寿科学研究プロジェクトというもの発見。

やはり。研究されているのね。富、地位、名誉の次に人の欲望が望むのは長寿だもの。

わたしがどうのこうの言うより。研究者の文を読めば一目瞭然と思って。コピペしました。1、自然環境 2、ライフスタイル 3、精神風土 が大事。それは誰でもわかるよね。だってそれが生活を形作るのだもの。

私は3に注目したい。精神風土。なんくるないさーとテーゲー主義。そう。なんでもてーげーでいいわけさぁ。もう。こんな世の中だし。このてーげーの甘さがいいわけさぁ。そうであるわけさぁ。ものにこだわらないおおらかなこころ。ここ。大事ね。そういえば。100歳超えるおじぃやおばぁは、皆よく笑いよったねぇ。昔話も辛い話も戦争の話さえも笑い話にしてくるおじぃがいた。

つらいことは、忘れるわけさぁ。過去はクヨクヨ考えない。考えてもしょうがないわけさぁ。変わらんもの。余裕のある心のリズムも大事ね。情緒の豊かさも。こころの感受性を常に大きく持って。どこででも感動しよう。泣くのもよし。

最近。涙もろくなっているのは。。。おばぁになっている証拠かな。。。

立派なカメーカメーおばぁにならないと。

修行はまだまだ続くね。

2009年9月18日金曜日

Okinawan Longevity 1


幼いころ。

沖縄に帰沖した最初の記憶。

曾祖母の腕のなかに包まれ。
膝の上に座らされ。

母が妹を沖縄で生むための帰沖なので。
私は確か1歳半か。

初めてあったはずなのに。
すごく安心感があって。
一緒に住んでいない、
東京から来たばかりの幼い私なはずなのに。
曾祖母、おばぁの腕の中がすごく心地よかった。
記憶が残っている。
おばぁの肩越しに見えたトートーメーも。

わたしが5歳のころに、曾祖母は101歳で亡くなったのだけれど。
曾祖父のほうが足が悪くなり、体を起こすこともできず伏せていたのに。
曾祖母の方が急に容態が悪くなり。
先に、病院でなくなった。
もう。気力だけで生きている曾祖父に、皆はおばぁの死を黙っていたのだけれど。
おじぃは、あとを追うように1週間後にはなくなったらしい。

乾物の商いをしていたので。
出入りの雇っていたおばぁが。
「曾祖母が帰ってきていたよ。門でみたけど。病院から退院したんだねぇ
おじぃもおばぁのように元気にならんと。」
と。曾祖父が亡くなった日に、
その亡くなった事実を知らされる前に、祖父に告げたそうだ。

何組かの沖縄のおじぃ、おばぁは両方が一緒に100歳を超えると。
亡くなるときに後を追う。
感動ものよね。
マブイ(魂)が、根っこのところで繋がっているのだと思う。
すごいことだよね。
一緒にあの世に旅立つ相手がいるっていうのは。


写真は、有名なナショナルジオグラフィックのもの。
この長寿特集で、沖縄は世界的に有名になったよね。
Okinawa Progrumというタイトルの書籍がアメリカで出版されているのだけれど。
沖縄の伝統的な食事方法はすごく良いものらしい。
世界的にみても。

私も、チョコレートホリックとか言っていないで。
ビールやワインがおいしいとか言ってないで。
肉はやはり、レアよねとか言ってないで。

口に入れる物に気を使わないと。
自分を甘やかすのはいけないわ。


まだまだ。
煩悩だらけだけれど。

ちゃ〜がんじゅ〜よぉ。




2009年9月17日木曜日

AU : LOWEN BRAU German Beer Pub @ Rocks Sydney




























お気に入りのビール@シドニーです。
新鮮さにはかけるけれど。

やはり。
王道ドイツ。
ビールがおいしい。

なんでも、信教迫害でドイツ系が移民でたくさんいるのもオーストラリアならでは。

ルター派の教会もあちこちにあって。行ってみたけれど。
質実剛健。どこでも、ドイツっという雰囲気でした。

日本人には。たぶんドイツ人が気質というか、なんというか、合うと思います。
オージーの適当さや、イギリス人の大英帝国気質などがなく。
アメリカ人の俺様もないし。
中国人や韓国の、隣の国だのに中身が宇宙人レベルにちがう?!もないし。
アラブ系のイスラムイスラムもちょっと。。。日本人には相容れないし。
(タクシー運転手に多いので、空港まで行く際に1時間ほど話し込んだりして。もっぱら、聞き役に徹するのだけれど。2回ほどコーランと資料が送られてきました。日本人にはとても好意的なので。友達として接する分には楽しいひとが多いのもアラブ系。)
アフリカ系移民、特に最近はスーダンが多いのだけれど。
(幼児期から戦闘員になる訓練をしていたりして。生きるための姿勢が根本から違っていたりする。12名の子供を抱えてスーダンから難民キャンプを経てオーストラリア人になった人と御話しする機会があったが、彼女の英語を聞き取ることがすごく難しかった。普段はスーダン人のコミュニティー内で生活が事足りる。)
東欧、ロシア系もシドニーには多いのだけれど。
話をすると、金で人を判断するというか。生活に対するがむしゃら感が違う。

ステレオタイプはいけないけれど。
差別、偏見は絶対にだめだけれど。

個々人によっても違うのだけれど。
国民性というのはあって。

やはり、経験から述べると。
ドイツ人。
日本人に似ているところがあります。

それなので。

ビールの話に戻って。
今日はこれがいいたいので。

ビールもおいしい。(こじつけ)
ソーセージもおいしい。(ただの がちまい:沖縄方言くいしんぼう)

ほんとうに。
おいしい。

あぁ。
生まれてよかった。

お父さん、お母さん。
生んで育ててくれてありがとう。
って。おいしいものを飲食する度に思います。
(ただのがちまい)







Outline of the U.S. Facilities and Areas @ Okinawa

県庁のHPからの引用。

Outline of the U.S. Facilities and Areas


   Although 54 years have passed since the end of the war, there are still vast bases on Okinawa. Approximately 75% of the land area used exclusively by U.S. Forces in Japan are located in this prefecture which comprises only 0.6% of the entire land area of Japan.
 
   These military bases occupy about 11% of prefectural land and on Okinawas main island, where most of the population and industries are located, the bases take up approximately 19% of the island's area.

戦後60年を経た現在もなお、国土面積のわずか0.6%に過ぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約75%に及ぶ広大な面積の米軍基地が存在しています。
 米軍基地は、県土面積の約11%を占めています。
 とりわけ、人口や産業の集積する沖縄本島においては約19%を占めています。
 
As of the end of March 2001
Number of Facilities
38
Total area of facilities
23,753 ha
Total area of facilities used exclusively by U.S. Forces Japan(USFJ)
23,445 ha
Number of U.S. military and
Total: 49,279
personnel, civilian emplpyees
Military Personnel: 24,587
dependents on Okinawa(SOFA
Civilian Employees: 1,355
status pepole)
Dependens: 23,337

There are 29 sea zones and 20 areas of airspace around Okinawa which are designated as U.S. military training areas. In addition, the Kadena RAPCON controls air traffic in the area around Kadena within a radius of approximately 80km and rising to an altitude of 6,096m. It also controls traffic in the area within a 48km radius of Kume Island to a height of 1,524m. Thus, we are restricted not only from using some of our land but also from using parts of our sea and sky
 

- quote; http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=14&id=589&page=1

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「戦後60年を経た現在もなお、国土面積のわずか0.6%に過ぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約75%に及ぶ広大な面積の米軍基地が存在しています。
 米軍基地は、県土面積の約11%を占めています。
 とりわけ、人口や産業の集積する沖縄本島においては約19%を占めています。」

って。さらって。書かれているけれど。
沖縄って。
僅か0.6%しかないのね、日本における国土の面積の割合で。
人口も1%ぐらいだよね。日本の人口に占める。
なんだか、押し付け過ぎではないだろうか。過重負担だと思う。

住んでみたら、わかると思うけれど。
沖縄の基地の位置も
町中にあったりして。

いろいろなタイプや階層のアメリカの軍人が赴任していて。
幼児や少女がレイプされて殺された事件も過去にはあり。
「ゆみこちゃん事件」が有名だよね。あの1997年の事件も。
交通事故や強盗事件は頻繁に発生している。
様々な問題を内包しているのに、改善はされない。
復帰後37年経っても。

しかも。
日本からでてわかるけれど。
アメリカはそんなに素晴らしい国ではない。と思う。
人それぞれ意見があると思うけれど。

沖縄のアメリカ人の「俺たちがお前らを体を張って、守っているんだ。」
という態度と発言。
またそういう教育も基地内ではされている。

う〜ん。
難しい問題よね。

日米安保も大事だしね。







 

2009年9月16日水曜日

沖縄と日本の時代区分 The History time table of Okinawa and Japan


沖縄と日本の時代区分
(高良倉吉氏の時代区分をもとに作成)

- quote ; http://rca.open.ed.jp/history/story/index.html ==========================

日本最古の人骨は、港川原人で、沖縄から出土したものよね。
歴史の教科書で。
最初に習うところだし。大学の試験にあまりでないから。
日本人でも、うちなーんちゅでも覚えている人はあまり少ないのよね。

こうしてみると。

日本に引けを取らない歴史を形成していて。

本当に。
先の沖縄戦での史実資料の紛失や破壊がもったいないわよね。

戦前の首里城の写真が、日本人の歴史家の方が撮影し残っているの。
たしか。。柳田邦男の同伴者で。同じ時期に民俗学的研究で来沖された方だったはず。

県立の資料館で拝見させてもらう機会があって。

とてもいいの。

なんだか。
今の首里城が作り物に見えて。
その写真の姿が脳裏にあると。

それに。

グスク時代って鎌倉時代から始まっているんだね。

世界遺産に登録されてから。
家族でグスク巡りをなんどもしたのだけれど。今帰仁城跡が一番好きだな。

沖縄の歴史の本で読んだのだけれど。 言い伝えで。
源為朝が沖縄に来ていて。琉球王朝に影響を与えたというお話で。

今。ググってみたら。
碑まである。行ってみたいな。今度、帰沖した際は。


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北部 > 今帰仁村 > 史跡

源為朝上陸の碑(みなもとのためともじょうりくのひ)

源為朝上陸の碑

貿易港として栄えた本島北部・今帰仁村 運天港にある源為朝上陸の碑

運天港は源為朝が源平の争乱に敗れ伊豆大島に流された後、伊豆大島を脱出し、暴風にあいながら「運を天にまかせて」たどり着いた港と言い伝えられています。大正11年に「源為朝公上陸之跡碑」が建立されました。

スポット情報

名称源為朝上陸の碑
TEL0980-56-2101(代)今帰仁村役場企画振興課
FAX0980-56-2105
住所沖縄県国頭郡今帰仁村運天
アクセス那覇空港から車(一般道)で約130分沖縄自動車道許田ICから車(一般道)で約40分
料金無料
設備なし
駐車場なし
身障者設備車椅子不可
営業時間見学自由

ー quote ; http://www.okinawabbhi.jp/spotinfo/index.php?itemid=83

 

 

 

先史沖縄

 

古琉球

 

近世琉球

 

近代沖縄

 

戦後沖縄

歌手Coccoが拒食症、自傷など語る

ーミクシーニュース:トラバ

歌手Coccoが拒食症、自傷など語る

「折れてしまいそうな細い腕に残る、数え切れないほどの傷跡…。歌手Cocco(32)が、自分の自然な姿を収めた写真を公開。28日発売の月刊誌「papyrus(パピルス)」(幻冬舎)の表紙を飾る。
 97年に「強く儚い者たち」がヒット、98年にはアルバム「クムイウタ」が90万枚を売り上げながら、01年から音楽活動を一時休止。故郷沖縄の海からごみを一掃する運動や、絵本作家としても活動するなど幅広く才能を発揮してきた。素顔は謎めいた実力派が、同誌の特集で治療やカウンセリングを受けていることを語っている。
 1つは拒食症だ。一昨年の5月から食事がとれなくなり、全国ツアー中はチョコレートや黒糖でカロリーを補ったという。2つ目は自傷行為(セルフハーム)。一部ファンの間で彼女の「リストカット」の過去がうわさされていた。自分の肉体を傷つけるのは日常生活の一部のような行為だという。」


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沖縄で、高校生の頃。彼女は同じ年代で。
あの当時。
国際通りをスキンヘッドで。
進学校の制服で歩く彼女は、結構、有名だった。

たまたま、学園祭で歌う彼女を見た。

あの頃から、鋭い眼光で。

あぁ。
このひとは芸術家なんだな。
と感じた。

月日は流れて、彼女はプロになって。
アルバムを聴くと。あふれんばかりの才能だった。

なぜ、芸術家肌の人は精神的に研ぎすまされていたり。
自傷行為を繰り返す人が多いのだろう。

脳と心は密接に繋がっているけれど。

彼女の音楽は、私の過去の一部分の思い出を彩っている。
久しぶりに聞いてみよう。