(過去記事)
慰霊の日。
6月23日には、今年は糸満に行った。
子供の頃から、毎年、どこかの慰霊の塔には行っていたが。
その前日に、海軍司令部壕や平和記念資料館に他人を案内していて。
大学時代に、スタディガイドとして幾度となく内地(日本本土)からくる高校生の修学旅行団を案内していたのを思い出した。
アブチラガマや、轟壕。 読谷など。
学べば学ぶほど。 知識を掘り下げれば掘り下げるほど。 沖縄戦について知るのは苦しくなっていく。
だって。私自身が沖縄人だから。
父母は3歳で終戦を迎え、まだ幼子だったというのに、戦争の記憶がある。
父は神風特攻隊がアメリカの軍艦に突撃する光景を覚えているという。
沖縄本島、北部。
山頂近くの防空壕の入り口から2歳の赤子が見た光景を65年経っても忘れることはない。
母は、中部の泥道を。
敵機の光の中。
暗闇から暗闇へと夜間、曾祖母の背に背負われて、逃げ惑った記憶。
ゼミで、ひめゆり資料館を回ったときは。
「このひと、あなたにそっくりね。」 と友達に言われるほど、私と似た面影の少女達の遺影。
政治的に。 外交的にも。
パワーバランスとしての自衛権、軍事力は必要かもしれない。
だが。 戦争が弱者から先に抹殺していくことは歴史で証明ずみのはず。
人間の本能として、他者と自己の差別化、そこからくる敵対心は、本当になくせないものだろうか。
’善人であれ’とどの宗教も教えているはず。
ではなぜ、その宗教や思想が戦争を生み出すのか。
人のエゴや欲望は限りがないものなのか。
ここまで世界人口が飽和状態まで増加していて。
環境も汚染がとまらず。
戦争は、必要悪なのか。
地球環境保全のために人類数の調整には。
日本人である前に。
沖縄人として、過去におこったこの戦争の歴史の記憶を忘れてはいけないと思う。
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